「いじめ問題」について

2012.8.6

○高木(美)委員 公明党の高木美智代でございます。

 本日は、水谷参考人、また亀田参考人、小森参考人、大変貴重な御見識を御開陳いただきまして、心から御礼を申し上げます。

 まず、私は、何点か伺いたいのでございますが、水谷参考人に伺いたいと思います。

 実は、このいじめの本質とは何かというところなんですが、先ほど来議論も伺っておりまして、今、夏祭りが盛んですので、学校を開放して地域の夏祭りをやっていらっしゃる小学校の校長とか、いろいろな方がいらっしゃいます。その校長にお会いしましたときに、誰もが被害者にも加害者にもなり得る、また、我が校でもいつ起こるかわからない、こうした緊張感をお話ししてくださいまして、大変私は印象に残りました。

 確かに、一九九六年、当時まだ文部省でしたけれども、大臣の緊急アピールの中に、深刻ないじめはどの学校にもどのクラスにも起こり得る、こうした内容でございます。

 ただ、このいじめの内容につきましても、先ほど来お話がありましたように、いわゆる教育的解決でできるもの、それから他機関が関与しなければできないもの、この二種類に分けられるというお話ですが、そう考えますと、教育的解決が求められるもの、恐らくここが発端なんだと思うんです。

 この発端のところで、問題行動を起こす児童生徒を出席停止措置にしたところで、これで果たして問題は解決するかというと、決して問題児が引き起こすものではない、むしろ、いつ自分が被害者にもなり加害者にもなるかわからない、いつもそこが入れかわっている、こういう状況があります。

 さまざまなアンケートの中でも、典型的ないじめである仲間外れ、無視、陰口、こうしたことを小学校四年から中三まで、一回以上受けたことがあるというお子さんが九割、また、したことがあるという方も九割という状況でございます。

 こういう中で、追跡調査をした方がいらっしゃいまして、六年間ずっといじめられる、またいじめ続けるという場合はほとんど存在しない、入れかわっている、こういう状況で、最初の些細な行為、ここのところが私は大事だと思っております。

 そこで、特定の子どもを念頭に置いた対策ではなく、むしろ子ども全員を対象にした未然防止をどのようにこれから図っていくのか、ここが私は本質なのではないかと思っております。

 私は娘が二人おりまして、その娘たちが、一九九一年、おっしゃっていたとおりです、小学校に入ったばかりでした、そのときに、やはり少し学校が荒れ始めまして、父兄と、また学校と話し合いをしながら、いじめる側が一〇〇%悪い、これを我が校の一つの大きな理念にしていこう、こういうことをみんなで決めました。何かあったら厳罰に、みんなで集中的に、いじめられる側を守り、いじめる側には、精神的であれ身体的であれ、これはまさに暴力だ、これをはっきりさせよう、こうした校風をつくり上げ、瞬く間にそれがおさまりまして、今もその校風というのがずっと続いております。

 こういう状況を見ますと、いじめの本質とは何か、また、それに対してどのように対応すべきか。恐れ入りますが、水谷参考人、そしてまた亀田参考人、小森参考人、御指導をいただければと思います。

    〔柚木委員長代理退席、委員長着席〕

○稲津委員長 それでは、順次お答えいただきたいと思います。

○水谷参考人 実は、いじめている子にも、いじめられている子にも、共通している特質があります。それは、自己肯定感のなさ。もっと単純に言えば、自信がない。自信のある子は、いじめません。自信のある子は、いじめられても親や先生に伝えることもできるし、助けを求めることができます。その自己肯定感のなさというものが、いじめている子、いじめられている子、ともに私が現職で扱ったケースでは共通している特質です。

 実際に、今、実は私、学校を回りますけれども、子どもたちに、家で親から褒められた数、叱られた数、どっちが多いと聞きますと、まず九九%、叱られた数。子どもたちに、はい、君たち、この学校で、先生から褒められた数、叱られた数、どちらが多い。九九%、中高では叱られた数です。

 人は、評価をされず、叱られてばかりいたら、結局は、自分はだめな人間なんだ、いらいらする、あるいは負け犬的に弱くなる。そこに、いじめが発生する大きな要因があると私は考えています。

 私が夜間定時制高校に行ったとき、実は四年間、いじめが一件も起きなかったという奇跡的なことがあります。このとき、どういうふうに我々教員が動いたのか。

 我々は、もう社会からいじめられている、夜間定時制高校は、真っ当に教員の配当ももらえず、お金もろくにもらえず、就職の面でも一部の企業に差別されて、ただでさえ差別されていじめられている我々の社会でいじめがあったらどうするんだと言ったら、変に生徒たちが納得をしていました。

 でも、それだけではなくて、我々教員が、ともかく一人一人の子どもたちのいいところを認めるんです。おまえは、確かに数学はだめだけれども、ここはすごいよ。認められることの中で自己発現をしていって、そこから自己肯定感に結びついた子は、いじめないし、いじめからも逃れることができ、闘うことができる。

 それを、今、寄ってたかって、社会的、経済的閉塞性の中で、家庭や学校、地域、社会全体が、子どもたちにいろいろな意味で自己肯定感を奪うような状況になっている。それが原因なんだと考えております。

○亀田参考人 いじめの本質というお尋ねでいらっしゃいましたけれども、私は、いじめの本質というのは、子ども同士のゆがんだ人間関係、不健全な力関係がもとになっているかと思います。

 したがいまして、学校、教員としては、子どもたちの人間関係をよく知る、子どもたちの様子をよく知るということが大事かと思います。その上で、今、水谷参考人からもお話ありましたけれども、一人一人のよさを見つけていく。先生たちに伺いますと、どんな子でもいいところがあるということを信じている先生が多いということがあります。

 したがいまして、子どもたちのことをよく知った上で、一人一人のよさを見つける。そのために必要なことは、そういったことができるだけの時間を教員に提供する、そのために教職員定数の改善を含めた教員の体制をつくっていくということが大事ではないかと思います。

○小森参考人 あるいじめの加害者が、いじめた理由を言っていました。自分が強いということを周りに伝えたかった、自分の強さを示したかった。その子がなぜ自分が一番でなければならなかったのか、そこがいじめの本質になるような気がしています。

 そして、いじめというのは、自己肯定感も、考える力も、生きる気力までも奪って、人を最後、死へと追い詰めるような、それがいじめだと思います。今いじめを受けている子に頑張れとか自己肯定感の説明をしたとしても、きっとその言葉は心に届かないような気がしています。それほど、いじめは、人を苦しめる、死へと追い詰める、恐ろしいエネルギーが潜んでいると思います。

 そして、なぜこの問題がいつまでも解決できないのかといいますと、大人が子どもたちに、やり返せと教えています。やり返すぐらいの強さが大切だと教えています。そして、やり返すということを学校の中で実行し、学校の中では、やり返しながら問題が一瞬のうちに大きくなってしまい、そして、大きくなった問題を解決するためのすべは、残念ながら、専門の方でもなかなか難しいと私は思っています。

 いじめは、傍観者、加害者、被害者、この三つ。必ずどこかに所属した経験がみんなあると思います。そして、この三つともが全て被害者だと私は思っています。傍観者は加害者と同じだと大人は言うんですけれども、実は、傍観者の子どもたちは、自分がその子を守ろうとしたことによって被害が自分に及び、友達を守ろうとして、そして自分自身が自殺に追い込まれるという事件も、悲しいんですけれども実際に起きているんですね。

 ですから、大人が、やられたらやり返せ、そう教えていたこと、それを、自分がされて嫌だったことはほかの子にしちゃだめなんだよ、そんな教育を日本じゅうの親が子どもたちに徹底できたら、いじめは激減すると思っています。

○高木(美)委員 今お話を伺いながら、それにしても、今回の大津市の問題の見方ですけれども、私は、学校の対応がもうお粗末という一言に尽きると思っております。いじめの存在を裏づける一定の情報が集まっていたにもかかわらず、その段階できちんとした対応がなされていれば、ある程度これは防げたのではないかと思います。

 隠蔽の風潮とか、いろいろ言われていますけれども、そうではなくて、私は、日ごろのいじめの実態を学校側が受けとめていなかった、軽んじていたということに尽きるのではないかと思います。本人に確認したらいじめを否定したとか、けんかだと判断したとか、こういう学校側の発言を聞くにつけて、基本的な知識が欠けていたのではないかと言わざるを得ません。

 今、団塊の世代が退職されまして、そことともに新しい教員がふえております。先ほど水谷参考人が、少し教員の力が弱まってきたのではないかというお話がありましたが、こういう従来蓄積されてきたいじめに対するノウハウが継承されていないのではないかという率直な気持ちがありますが、水谷参考人、どのようにお考えでしょうか。

○水谷参考人 いじめについては、結局は端的な一つ一つの個別の事案としてしか動いていないというのが、今までの原因であり、それが解決されない原因の一つだと思います。

 それ以上に僕が訴えたいことがありまして、実は、いじめの事件が起きて、一人のとうとい命が今回もなくなっている。僕はあの場所も行ってまいりましたが、あの子がどんな思いで階段を上って飛びおりたのか、それを考えたときに、私もそのような教育の現場にいる一人の元教員、あるいは教職に大学でついている者として加害者だろうと、こうべを垂れて祈るしかなかった、謝るしかなかったという思いがあります。

 実は、今まで、いいですか、いじめでみずからを処した教員も教育長もおりません。例えば、山形で、高畠高校の事件のときに教育長がやめる羽目になったのは、亡くなったという報告を受けながらも酒席を続けて酒を飲み続けていた、これがマスコミの力によって公開されたからです。

 一人の子どもが亡くなった、当然ながら、教員にも、担任にも、いわゆる教育長にも責任がある、文科大臣にも責任がある。その責任のあるべき立場の人が、私に原因があったという形でみずからを処したら、例えば今回ならば、平野文科大臣が、みずからの至らぬところで学校教育がちゃんとできなかった、ついては、歴代五代ぐらいまでさかのぼって大臣がやめるどころか議員をやめるぐらいの思いがあれば、全く違うものになるのではないか。責任をとらない。大人が責任をとらないから、必ず子どもの責任という形でいくんですね。

 実は、瑞浪というところで、いじめの事件で中学生の女の子が亡くなりました。これに関しては、加害者の名前、七名ですか、きちっと残した上で亡くなって、大変な問題になった。僕も被害者側の親から相談を受けて、和解用の市民講演会というのをやりに行った。

 結局は、今度はいじめていた七人の子が逆に地域の中でいじめに遭って、もう学校に通えないんですね。今度は、その町の中では、いじめていた子側の人たちが、こういうことになったのはおまえが騒ぐからだと、いじめられて亡くなった子の家族をたたく。二万数千の町が二分して、いまだに混乱しているんですね。

 僕が呼ばれて行ったときに言ったのは、申しわけない、教育長、校長、市長、やめてくれと。我々が悪かったと。安全なきちっとした学校をつくれなかった。あなた方が責任をとれば、きっとおさまるでしょう、こんなことは二度と起きないのではないか。

 こういう見方もあるということを、厳しい見方ですけれども、言わせていただきます。

○高木(美)委員 ありがとうございます。

 その中で、先ほど最終責任者というお話がございました。亀田参考人からは、首長に責任と権限を一元化すべきというお話がありまして、私は、首長にそこまで権限を、先ほど水谷先生もおっしゃったように、当然、市長、教育長、校長はやめるべき、そこに連なるのは当たり前の話であって、そこに責任と権限を一元化していくということは、むしろ教育の独自性といいますか独立性、ここと相入れないものがあるのではないか。

 また、首長にはさまざまな政治色もあります。そこで市の教育が左右されていいのか。やはり、教育基本法に基づいてそこは整然と、日本国の隅々どこにいても同等の教育を受けるべきという、この理念が守られるべきではないかと考えます。水谷参考人、これについてもいかがでしょうか。

○水谷参考人 教育委員会制度について、一部の専門家の間でも、今回の大津の教育委員会の対応を見て、教育委員会に問題がある、制度的にもう要らないのではないかという過激な発言をする方々、専門家の中でもいられる。とんでもないことだと思います。

 教育委員会制度そのものが、確かにアメリカが戦後、日本の民主化教育を推進するものとして持ってきた。その持ってきた当のアメリカがもう既にとっくの昔にやめていて、学校評議員制という形で、地域に合った特質を持った学校づくりを、地域の有識者がつくっていくんだという形に切りかわっている。それはそれで立派なことですし、我が国でも、安倍内閣のもとで教育再生会議がその方向でいろいろやろうという思いをなさった。

 これは、それこそ皆様方国会の中で、この国の教育を民主的かつすぐれたものにするためにどういう制度が必要かという形で問われるべきものであって、単なる、ある教育委員会の失態によって教育委員会制度はという次元の問題ではないと思います。教育委員会制度があったおかげで守られた日本のいい風習、教育の慣習はたくさんあると思っております。

○高木(美)委員 先ほど第三者機関のあり方につきまして、水谷参考人からは、むしろ、法務省の人権擁護委員を活用して、今の一万四千人をさらに五万人ぐらいにふやしてという御提案がありました。私も、それは実に貴重な御提言かと思っております。やはり、教育の世界に第三者の、国を挙げて子どもたちの人権を守るべき、こういうものは必要かと思います。

 また一方で、小森参考人からは、むしろ第三者調査委員会、最初の初動のときの調査をきちんとできる、そうした委員会を速やかに設置できるようなシステムが必要ではないか、このようなお話がありました。恒常的にはどのような委員会が必要とお思いなのか、簡潔にお伺いをしたいと思います。

○小森参考人 先ほど申したとおりなんですけれども、とにかく今は初動捜査というものが確立されていないという現実があります。学校の中で起きたことに関して先生が調査をして、先生が因果関係まで決めてしまうというこのシステムがとてもおかしいというふうに申し上げました。

 その中で、もし学校と遺族側の家族が情報をしっかり共有することができたならば、裁判というような流れも減ると思いますし、そして、遺族はもちろん納得はできません、我が子が亡くなったことに対して納得できる親はおりませんけれども、それでも、こんなにつらいことがあったんだね、悲しかったね、よく頑張ったねというところで、親自身ももう一度生き直さなければならない中、とてもその部分が重要になると思っています。

○高木(美)委員 亀田参考人にお伺いしたいのですが、先ほど、フリースクールに三十カ所視察に行かれたと伺いました。私も、先ほど来御議論がありますように、逃げる、単に逃げるのではなくて闘って逃げる、両方必要かと思います。そうでないと、やはりずっとそれが心のトラウマになり、今も脅かされている、そういう話は私も多く伺っております。

 その中で、ただ、フリースクールというこのシステム自体は私は必要だと思っておりまして、卒業資格とか公的支援とか、今何もない。本当にそれでいいのか。そこに発達障害とか多くのそうしたお子さんたちも行かれています。法整備が必要だというふうに思いますが、どのようにお考えでしょうか。

○亀田参考人 おっしゃるとおり、何らかの法的な対応というのが今求められているかと思います。

 フリースクールに、全国でどのぐらいあるかというのは統計的にはわからないんですけれども、私が回った範囲内では、スタッフの方々、本当に自分の生活を犠牲にしても子どもたちのために活動しているということがとても印象に残っております。そして子どもたちは、さまざまなフリースクール、自分に合うフリースクールはどこかということを幾つか回りながら、自分に合うフリースクールを見つけて、そこに通う。

 そして、その中で、フリースクールで大事にしているのは、話し合うということです。自分たちがきょう何をするか、そして、フリースクールで問題が起きたとき、そういったときに、常に子どもたち同士、そしてスタッフの方も含めて話し合う。その話し合いの中で自己肯定感ということが育まれていくように見受けられました。

 そういったフリースクールに対して、今、学校で学ぶのか、フリースクールで学ぶのかということを選択できる制度にはなっておりません。運用上は認められておりますけれども、選択できる制度がない。したがって、フリースクールなどに対して公的な支援を行うシステムになっていない。その点についてぜひ委員の先生方のお力添えをいただきまして、制度化に向けて動きが進んでいければということを願っております。

○高木(美)委員 最後に、水谷参考人にお伺いします。

 警察庁とそれからこうした教育との連携のあり方、今、学校安全協議会とかさまざまなものが地域で立ち上げられておりますが、今回は、むしろ捜査が必要だということで、警察独自の判断でそのようになりました。

 今後のあり方につきまして、何か御提案がありましたらお伺いしたいと思います。

○水谷参考人 横浜の例を申し上げます。

 横浜は、前市長、中田市長のときに、教育委員会と神奈川県警の方で、学警連、学校警察連絡協議会が軸になって、神奈川県警は、小中高全ての横浜市内の子どもたちの起こした事件についての、いわゆる誰がどういう事件を起こしたという報告を全部教育委員会の方に報告いたしますと。そのかわり、そのことをもって、例えば市立高校が生徒を退学にかけるとか処分対象にはせず、お互いで協力をしながら、子どもたちを非行、犯罪から未然に防ぎ、起こした場合も矯正をさせながらいい子に育てていきましょうというのが、警察側からの対処としてありました。

 逆に、学校側から心を開いて刑事事件でというのは、非常に難しいんですね。

 でも、今回の件なんというのは、どなた、どの委員の先生方が読んだって、大変な犯罪ですよね、金とってこい、万引きさせたり。ああいうものに関しては、私が生徒指導ならば当然警察の方に伝えますし、それはもう義務として。今回の件はもう、犯人隠匿で僕は犯罪だと思っています、あの先生方は。そういうふうな形で、今回は特別だと思いたいと思います。

○高木(美)委員 時間になりました。ありがとうございました。

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